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「萩色の旅」~萩に来て新しい萩の風を感じてみませんか?吉田松陰先生が死の間際に「矩之」と改名したのは何故か~天皇を守護する「近衛騎兵」「近衛歩兵」を先祖に持つ三輪正知氏がその謎を解明し新説を発表!!令和6年(2024)5月31日(金)地元情報新聞「スポット山陰」一面で紹介されました。萩焼専門店発祥の地 三輪清雅堂では、松陰先生遺愛の萩焼茶碗一服鑑賞会開催中。松陰先生が敷島の大和の国(日本国)の為に心を砕かれ、「矩之」改名に至るまでの経緯が窺える松陰先生直筆の言葉も合わせて公開中〔予約制・期間無期限・無料〕 !!

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松陰先生遺愛の萩焼茶碗

松陰先生直筆の言葉

 

吉田松陰先生が死の間際に「矩之」と改名したのは何故か

天皇を守護する「近衛騎兵」「近衛歩兵」を先祖に持つ三輪正知氏がその謎を解明し新説を発表!!

松陰先生は死の間際に「矩方」から「矩之」へと改名している。私はこの点に松陰先生の迸(ほとばし)る執念を覚える。 そもそも「矩之」という名は吉田家の3代目の名であり、その人物は明智氏の一族である妻木(つまき)家から養子に入っている。 ご存知のように明智光秀は織田信長に謀反を働き、打ち取られたことは言うまでもない。 一方、吉田家の系図をたどると「松野平介(一忠)」という人物に至る。この人物は信長からも一目置かれた重臣である。 皮肉な事に光秀と平介の二人は、『本能寺の変』では、それぞれ謀反と忠義という相対する立場にあったのであるが、奇縁な事に吉田家の3代目「矩之」という名で、この二つの系図が交わっているのである。 松陰先生が敢えて、この諱を死の間際に記したのは、天皇に忠義を尽くす為に幕府に対し造反した己の姿をこの名を通して二人の姿に重ね合わせたのではないかと私は察する。 松陰先生が武士の鏡と敬慕した人物は、尊皇思想家、高山彦九郎のことであり、その彦九郎の「狂」の精神を受け継いだ松陰先生は彦九郎の諡(おくりな)・「松陰以白居士」に因み自らを松陰と号した。

 松陰神社崇敬会会員 三輪正知(光悦茶碗研究家) 

萩焼専門店発祥の地 三輪清雅堂では、松陰先生遺愛の萩焼茶碗一服鑑賞会開催中。松陰先生が敷島の大和の国(日本国)の為に心を砕かれ、「矩之」改名に至るまでの経緯が窺える松陰先生直筆の言葉も合わせて公開中〔予約制・期間無期限・無料〕 

お問い合わせ 萩焼専門店発祥の地 三輪清雅堂 https://hagi-miwa.com/

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