萩焼人間国宝 三輪壽雪〔十一代三輪休雪〕先生 鬼萩割高台茶碗と萩焼専門店発祥の地 三輪清雅堂
世界に誇れる萩焼芸術~日本陶芸史上最も崇高な『萩光悦』誕生の歴史
【2】焼物技術の導入
日本では中国陶磁器に憧れを持ち渡中して焼物を学ぶ者が現れ、国内でも釉薬を用いた焼物が焼かれ始めます。これにより日本の焼物が無釉から有釉へと進化を加速していきます。中国が明時代、韓国が李朝時代になった頃、日本(安土桃山~江戸時代時代初期)では茶を服するための色彩鮮やかな「茶碗」という芸術の華が一斉に開きます。日本民族は、中国伝来の唐物などの名品を珍重していましたが、しだいに高麗焼の人気が高まっていきました。さらに中国や朝鮮半島から最新の焼物技術(連房式登り窯)が導入され日本独自の美意識(不完全調和の美)による焼物が焼かれ始めます。その頃、この萩で焼かれた焼物が松本焼で、高麗焼への憧れによって日本独自の焼物『萩焼』が誕生しました。