萩焼人間国宝 三輪壽雪〔十一代三輪休雪〕先生 鬼萩割高台茶碗と萩焼専門店発祥の地 三輪清雅堂
「萩焼街道」おすすめの萩焼窯元を丁寧にご案内、窯元巡りできっとご満足いただけるうつわが見つかります。
萩で最も古い老舗の萩焼専門店 三輪清雅堂の店主、三輪正知〔萩光悦研究家〕がお客様のニーズに合わせ、おすすめの窯元を解説つきでご案内する「窯元巡り」も随時催行しており、色んな作家の作品を見比べながら「満足のいくうつわ探し」のお手伝いをさせていただいております。
萩焼の歴史と伝統に触れながら素敵なうつわを探す萩観光の新しい形をご提案いたします。
すべて〔予約制〕となっております。萩にお越しの際はどうぞ、ご予約、お問合わせください。
萩焼街道
“いいもの”をお探しのお客様のための特別企画です。
世界に誇れる萩焼芸術の本質的価値を知っていただく良い機会になると思います。
萩で最も古い老舗の萩焼専門店 三輪清雅堂の店主、三輪正知〔萩光悦研究家〕が御案内いたします。
所用時間 | 約1時間程度 |
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参加費 | 無料 |
世界に誇れる萩の陶芸家の魅力がここに集結
“いいもの”をお探しのお客様のための特別企画です。
世界に誇れる萩焼芸術の本質的価値を知っていただく良い機会になると思います。
萩で最も古い老舗の萩焼専門店 三輪清雅堂の店主、三輪正知〔萩光悦研究家〕が御案内いたします。
萩焼本格窯元巡りはお一人様から大歓迎、四名様まで御案内できます。
場合によっては、五名様以上での団体様の御案内も対応できますので、ご予約時にお問合わせください。
1 波多野善蔵先生〔波多野指月窯〕
山口県指定無形文化財萩焼保持者。日本伝統工芸展入賞。パリにて日本の陶芸今百選展出品。
2 岡田裕先生〔晴雲山岡田窯〕
山口県指定無形文化財萩焼保持者。菊池ビエンナーレ展大賞受賞。パリにて萩焼400年展出品。
3 兼田昌尚先生〔天寵山窯〕
世界三大美術館の一つとして名高いメトロポリタン美術館に作品収蔵。パリにて萩焼400年展出品。
4 野坂康起先生〔野坂江月窯〕
山口県指定無形文化財萩焼保持者。中国文化賞受賞。パリにて萩焼400年展出品。
5 新庄貞嗣先生〔新庄助右衛門窯〕
山口県指定無形文化財萩焼保持者。萩焼の開祖、李勺光の高弟から十四代続く萩焼名門窯。ニューヨークにてグループ展開催。パリにて萩焼400年展出品。
6 田原陶兵衛先生〔田原陶兵衛工房〕
萩焼の開祖、李勺光の高弟から十三代続く萩焼名門窯。ニューヨークにてグループ展開催。パリにて萩焼400年展出品。
所用時間 | 約2~3時間程度 |
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参加費 | お一人様、2,000円(2ヵ所)より御案内しております。 |
※萩焼本格窯元巡りのコースで、お客様のご希望がございましたらお知らせください。窯元のご都合により掲載以外の萩焼名門窯へ御案内する場合もございます。
三輪窯 萩焼人間国宝三輪壽雪〔十一代三輪休雪〕先生
休雪白と呼ばれる純白の釉薬が掛けられた「鬼萩割高台茶碗」は、風雨に耐えるけなげな「白蓮の姿」
今まさにこの瞬間に大輪の花が開花しようとしている様です。
鬼萩割高台茶碗からは今この瞬間「大いなるものの中で生かされて生きていることの喜び」そして「生きる力」を感じて頂けたらと思っております。
休雪窯 三輪龍氣生〔十二代三輪休雪〕先生
萩陶芸の魅力が存分に楽しめる「極上の黄金碗」
萩焼専門店発祥の地 三輪清雅堂で、世界に誇れる陶芸家「十二代三輪休雪先生の世界」に触れてみませんか。
三輪窯 十三代三輪休雪〔和彦〕先生
若かりし頃、アメリカ西海岸の空気を吸う時期が有った私は、何度か大自然を求めて車を走らせた。
エル・キャピタン
ヨセミテ国立公園に在る巨大なその一枚岩は、圧倒的な存在感を放ち、凛として、且つ、包容力に満ち溢れていた。いつしか それは、自らの制作の基盤となって 私の心の中に居続けている。 (不走庵 三輪窯 三輪和彦)
三輪和彦展 エル・キャピタン しぶや 黒田陶苑 図録より
三輪窯 十三代三輪休雪〔和彦〕先生
故・三輪壽雪(人間国宝・11代三輪休雪)氏の三男としてご活躍され、名門三輪窯の伝統を受け継がれておられます三輪和彦先生。和彦先生の「淵淵」(えんえん)と題された萩焼茶碗芸術。
「生命の源とする水を深くたたえる深遠なる聖域」をテーマにされておられます。
三輪和彦先生の最新作「淵淵」のおちゃわんの世界は、三輪清雅堂の三輪正知〔萩光悦研究家〕が御案内いたします。
三輪窯 萩焼人間国宝十一代三輪休雪(壽雪)先生の鬼萩茶碗 鬼萩割高台茶碗をお探しの方は、三輪清雅堂までお問合わせください。
江戸時代前期に本阿弥光悦が作陶した萩焼を「萩光悦」と云います。世に語り継がれております幻の萩焼の事です。田内梅軒が著した江戸時代の陶磁器の解説書「陶器考」(写真)に、本阿弥光悦の作品の中には、はっきりと「萩光悦」を見ることが出来ると記載されています。次に、毛利家の蔵の管理を記録した「慶長元和頃物品受渡受取控」(写真)は、慶長十九年、松本茶碗三つが本阿弥家へ納められるにあたり、桐箱に収納するために使われる詰め紙、半紙五帖の出納があったことを示す史料であります。 これはまさしく、本阿弥光悦が「萩茶碗」を作っていたことを窺わせる重要な史料であります。このたびの光悦と萩焼に関する史料は、これまで承知されていないもので、江戸時代の初期のものとしては、大変貴重でもありまた、法華経の精神を表現した幻の萩茶碗「萩光悦」の存在を世に問うことが出来るものと考えております。
参考:山口県地方史研究 第96号 近世萩焼に関する史料(吉積久年著 山口県地方史学会編集・発行)
初期の萩焼、光悦の手に 山口で文書みつかる
草創期の萩焼が、長州藩主の毛利家から本阿弥光悦(一五五八~一六三七)に渡っていたことを示す江戸時代初期の史料が山口県文書館(山口市)で見つかった。書や陶・漆器に通じ当時随一の芸術家だった光悦。萩焼との結び付きは明らかではなく、「一流の目利きだった光悦の評価がほしくて毛利側が贈った」「光悦が一目見たいと希望して取り寄せた」と関係者の間で話題になっている。文書館の吉積久年副館長が、毛利家の蔵の管理を記録した「慶長元和頃物品受渡受取控」から発見。慶長十九(一六一四)年九月七日に「本阿弥家に松本焼の茶わん三つを納めるのに使うきり箱に詰める半紙五帖を蔵から出した」旨が記されている。その後、茶の湯に欠かせない「茶陶」となる萩焼だが、当時は朝鮮半島の陶工に開窯させて十年前後。江戸末期まで松本焼や深川焼と呼ばれていた。県立萩美術館・浦上記念館の石崎泰之学芸課長は「萩焼が茶の湯の美意識にかなうほど洗練されているか批評してほしかったのではないか」と指摘。一方、岐阜県現代陶芸美術館の榎本徹館長は「高麗茶わんが貴重だった日本に朝鮮半島の陶工が来たのは当時の大事件。その陶工が焼いた茶わんの真価を光悦が見たかったのでは」とみる。また榎本徹館長は、藩政を握っていた毛利秀元と光悦の茶の湯の師匠がいずれも古田織部(重然、一五四四~一六一五)だったことに着目。「織部を通じて紹介されたのではないか」と推測する。光悦と萩焼の関係を研究する萩市の三輪正知さんは「これで光悦が萩焼づくりにかかわった可能性が高まった」と文書を評価している。
参考:初期の萩焼、光悦の手に 山口で文書みつかる(2008年07月13日 木曜日 共同通信)
関ヶ原の戦いに敗れた広島(安芸の国)の毛利輝元は、徳川家康より周防・長門二カ国を受領し、山口県萩市に萩城を築きます(慶長9年)。この年、萩市松本に御用焼物所が開窯され「萩焼」が始まります。その後、李勺光の子である山村新兵衛は、毛利輝元より「作之允(さくのじょう)」に任ぜられ、李敬も初代萩藩主・毛利秀就より「高麗左衛門」に任ぜられます(寛永2年)。この年、長州毛利家の藩政を握っていた毛利秀元は、徳川家光の御伽衆(おとぎしゅう)となります。江戸時代初期にみられる織部様式の萩焼は、秀元の影響とされます。松江重頼著「毛吹草」に長門の名物として萩焼物の記載があり、「萩焼」が世に知られていたことがわかります(寛永15年)。大名茶人でもあった秀元は、徳川家光の命を受け、品川御殿の近くに新亭を設けて大茶会を開き成功させます(寛永17年)。その後、李勺光の子・山村新兵衛の子である平四朗は、「三ノ瀬焼物所惣都合」を命ぜられて弟子を率いて深川三ノ瀬に移住。ここに三ノ瀬焼物所が開窯します(明暦3年)。
萩焼の主原土は、白色をした大道土(だいどうつち)であります。山口県埋蔵文化財調査報告書第44集によりますと、萩焼で最も古い時代(江戸時代初期)に焼かれた坂一号窯の発掘調査によると大道土が使用された茶碗が確認されております。この白土は山口県防府市台道や山口市付近から採取される砂礫の多い蛙目粘土であります。そのほか、萩市の日本海の沖合いに浮かぶ見島で採取される鉄分の多い赤土や阿武郡福栄村福川金峰(みたけ)で採取される白色をしたカオリンの一種である金峰土、萩市の窯所周辺で採取される地土が使用されています。萩焼の窯(坂一号窯)は朝鮮式の連房式登り窯で大量生産でき火が走りやすい構造になっており、焼き方により様々な色調が狙えるといったいわゆる窯変(ようへん)が魅力的です。江戸時代初期にみられます傾向としましては、高麗焼の茶碗の写し物が多くみられ、その一方で、坂家に伝わる古萩茶碗「張良」(ちょうりょう)のような芸術性の高い造形美を観ることも出来ます。実は現在に至るまで、光悦の時代に作られ焼かれた坂一号窯のモノハラは発見されておらず残念ながらこの窯で焼かれた萩焼の詳細は不明です。朝鮮半島出身の陶工たちは、高麗焼の焼成技術を生かし、中性還元焼成でもって焼いておりました。窯炊きは、天候や季節によって影響を受けやすく、また薪の投入のスピードによって窯の中に入る空気の量に違いが生じ、酸化焼成になったり還元焼成になったりします。焼成時間は一日程度で火入れ式には「トウエビス」と呪文を唱え窯炊きの成功を祈ります。
参考:萩焼400年展ー伝統と革新(朝日新聞社文化企画局西部企画編集部・発行)