萩焼専門店発祥の地 三輪清雅堂〜萩色の旅 萩焼色の旅
  トップページ 御挨拶 萩光悦 三輪正知について 三輪清雅堂 特別鑑賞会 窯元巡り
トップページ>開運招福

萩光悦形葵紋黒茶碗を茶杓で叩いて、現世利益(神仏の加護によりこの世で得られる利益)をもたらす布袋様を呼んでみませんか!!〔期間無期限 予約制 無料〕

〜戦国時代から天下泰平の世へ

戦国時代最大のミステリー
毛利秀元は利休切腹の真相を知っていた!?

弥勒の船の到来を願って
萩光悦形葵紋黒茶碗を茶杓で叩いて、
現世利益(神仏の加護によりこの世で得られる利益)を
もたらす布袋様を呼んでみませんか!!

茶碗

 茶の湯は「平和思想の芸術」であります。その茶の湯芸術は利休から織部、さらに織部の弟子であります光悦、遠州、秀元へ受け継がれます。七福神の一人である布袋様は、現世利益をもたらす平和(円満)の神様です。また布袋様は弥勒の化身・分身と考えられています。寛永十七年(1640)の品川大茶会で秀元は、家光公の御前で自らの手で出現させた布袋様を表現した萩光悦形葵紋黒茶碗を披露し利休の茶杓で叩いて「弥勒の世の到来を告げる鐘」を鳴らしたと考えます。研究者によりますと、この品川大茶会の目的は徳川家光を頂点とする幕藩体制の確立を世に披露するために行われたと考えられております。視覚と聴覚に訴える芸術性の高い秀元の茶碗は家光公の意向に応えるための作品であり、織部門下の力量を窺わせるものと観ております。利休切腹の時期は豊臣秀吉の命令により秀元が出陣した文禄・慶長の役の前年(1591)です。秀元は、秀吉の朝鮮出兵に徳川などの有力大名とともに利休が反対したために、切腹を命じられたことを知っていたのだと考えられます。故に、家光公の御前で自らの手で出現させた布袋様を表現した萩光悦形葵紋黒茶碗を披露し利休の茶杓で叩いて「天下泰平の世の到来を告げる鐘」を鳴らしたと考えております。弥勒の船の到来を願って萩光悦形葵紋黒茶碗を茶杓で叩いて、現世利益(神仏の加護によりこの世で得られる利益)をもたらす布袋様を呼んでみませんか!!

■詳しくは三輪さん電話090-8360-7843


2012年(平成24年)02月17日 金曜日 はぎ時事新聞

「徳川家光もてなし」
毛利秀元?の茶碗展示


茶碗
東洋のレオナルド・ダ・ヴィンチと評される江戸時代初期の芸術家、本阿弥光悦(1558〜1637)の作品を研究する吉田町在住の三輪正知さんが、毛利元就の孫で長門長府藩の初代藩主、毛利秀元(1579〜1650)が製作し、将軍・徳川家光をもてなした(三輪さんの主観)─とされる茶碗の鑑賞会を自宅の萩焼専門店「三輪清雅堂」で開いている。 毛利秀元は豊臣秀吉から従兄である輝元の継嗣と認められ、関ヶ原の戦い後は長門長府藩の初代藩主に就任。茶の湯や和歌に優れ、本阿弥光悦の師、古田織部の弟子でもあったことが知られている。また晩年は徳川家光の御伽衆に加えられ、家光に茶を献上する茶会(品川大茶会)を催した。 「その品川大茶会で使われた茶碗に間違いない」とする古茶碗を三輪さんが所有。茶碗には徳川の家紋である"葵の紋"が施されており、見込みと口造りから胴、腰にかけて瓢箪と馬の姿が黒い鉄釉で表現された作品。ずっしりと重い造りで、茶杓で叩くと鐘の音のような響きがすることから、三輪さんは「天下泰平の世の到来を告げる鐘を古田織部の師・千利休の茶杓で叩いて鳴らし、家光の意向に応えた」と解説する。またその素人くさい作風から、「秀元自らが作った茶碗の可能性が高い」と話している。同茶碗の鑑賞は、現在、三輪清雅堂で開いている「光悦茶碗(七点)の特別鑑賞会」(参加費は一人四千円)の場で、希望者に対して無料で公開している。

事前予約が必要・申し込み、詳細は三輪さん(携帯090・8360・7843)まで。

東洋ルネサンス〜日本が世界に誇れる芸術 光悦茶碗
koetsu-code
視聴する視聴する
kanon