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明治維新150周年特別企画

「松陰先生のまなざしに映った萩の絶景の散策と登り窯を楽しむ萩色の旅」

幕末維新研究の第一人者
木村幸比古先生推奨

木村幸比古先生著「吉田松陰の実学 世界を見据えた大和魂」
木村幸比古先生著
「吉田松陰の実学
世界を見据えた大和魂」

幕末維新研究の第一人者 木村幸比古先生の直筆サイン入りの著書「吉田松陰の実学 世界を見据えた大和魂」を先着10組様にプレゼント。

「松陰先生のまなざしに映った萩の絶景の散策と登り窯を楽しむ萩色の旅」〔予約制〕
「松陰先生のまなざしに映った萩の絶景の散策と登り窯を楽しむ萩色の旅」
萩・長門は歴史の町だけではなく、山紫水明(さんしすいめい)の美しい自然に囲まれた町でもあります。

青雲の志を抱いた20歳の松陰先生は、異国船による海からの攻撃に対して本土防衛の重要性を感じ、
萩・長門の海岸を自らのまなざしで視察しました。

その時、松陰先生のまなざしに映った 絶景とは・・・それは、萩に来てからのおたのしみ。

三輪清雅堂では、松陰先生萩焼坐像〔10代坂高麗左衛門作〕を初公開とともに、
萩に来た坂本龍馬が萩焼茶碗に描いた日本海の絶景も合わせて御案内いたします。
坂本龍馬の萩焼茶碗は、NHK歴史秘話ヒスとリアにも紹介されました。

コース  <プチコース>萩コース 
  〔御案内料 1名〜3名様まで、約1時間30分 5000円〕〔予約制〕
コース  <フルコース>萩コース 
   〔御案内料 1名〜3名様まで約2時間30分 15000円〕〔予約制〕
コース  <フルコース>長門コース 
   〔御案内料 1名〜3名様まで、約3時間30分25000円〕〔予約制〕
※ガイド2名で御案内いたします。

三輪清雅堂で、松陰先生の萩焼坐像〔10代坂高麗左衛門作〕を鑑賞。
※萩焼を鑑賞して頂きますお時間は、絶景を巡る時間の中には入りません。

※御予約はお早めにお知らせください。
※木村幸比古先生著書「吉田松陰の実学 世界を見据えた大和魂」は、
フルコースに御参加のお客様のみプレゼントとさせていただきます。

〔予約制・無期限開催中〕
詳細についてのお問い合わせ・ご予約は三輪清雅堂〔090-8360-7843〕まで。




“萩の老舗 三輪清雅堂が萩のホテル・御食事処・観光をご案内する『萩色の旅』

萩の老舗 三輪清雅堂が萩のホテル・御食事処・観光をご案内する『萩色の旅』

萩で最も古い老舗の萩焼専門店 三輪清雅堂4代目当主 三輪正知が自らの主観でホテル・旅館などの宿泊施設・御食事処・観光のアドバイス 【無料】
いたします。 『萩色の旅』では、上質の旅の時間を大切に考えて観光客の皆様に、萩の町の魅力をご案内いたします。〔 お気軽にお電話でお問い合わせくださいませ。 〕


お問い合わせ・御予約は、三輪清雅堂 電話090-8360-7843


2005年10月02日 龍馬直筆の茶わん発見 山口・萩の旧家 高知新聞

坂本龍馬の直筆入り茶わん見つかる─。

 

龍馬の茶碗 松林の絵と龍馬の筆跡と確認されたサイン

【写真】松林の絵と龍馬の筆跡と確認されたサイン(茶わん外側の一部)

坂本龍馬の直筆入り茶わん見つかる─。山口県萩市の旧家に伝わる萩焼の茶わんがこのほど、龍馬が萩を訪れた1862年(文久2)年に名前や絵を書き入れたものと分かった。同市の吉田松陰研究家と京都・霊山歴史館の木村幸比古学芸課長が確認した。一緒に筆を入れたと考えられる松陰門下生らとの交流も浮かび上がっている。

茶わんを所有するのは同市の斉藤兼太郎さん(71)。斉藤さんの祖父が維新前後に手に入れ、龍馬が筆を入れた茶わんと伝えられていた。これまで一部では知られていたが、確かなことは分からないまま。そこで同市の松陰研究家・三輪正知さん(35)が調査を申し出た。

茶わんは外側に松林の絵と「龍馬」の名前が記されている。反対側には明らかに別の筆跡で、茶わん内側から外側に続く山の絵と「豊嶺」「雪鶴」「玉枝」の文字がある。内側には1羽の鶴が描かれている。

「これまでに見た方は玉枝を女性の名前ととらえていた」と三輪さん。調べると現在は玉江という地名が、幕藩期は玉枝と書かれたことが分かった。玉江地区から茶わんの配置通りに考えると、横の山は指月山。少し離れて菊が浜の松原と、ぴたり当てはまる。この構図を見られる場所は、松陰の菩提(ぼだい)寺である泉福寺の付近に限定される。

三輪家は萩焼の卸や小売りを行う専門店を営む。茶わんの土や焼き具合を調べると、長州藩の御用窯だった坂窯の文久年間の作品に同様の物が現存しており、龍馬が訪れた年代とも一致した。

豊嶺は萩城のあった指月山を指す。龍馬が訪れた時は大雪だった。雪鶴は城のある山の上を高く飛ぶ鶴が、松陰をイメージしていると考えた。

絵の内容を明らかにした上で、「龍馬」の筆跡を木村課長が鑑定。資料と比較すると、1867(慶応3)年6月に木戸孝充にあてた書簡のサインなどとほぼ同じだった。木村課長は「龍の字の最後のはね方は完全に龍馬のもの」と話す。

龍馬が萩を訪れたのは文久2年の一度だけ。前年に土佐勤王党に加盟し、武市瑞山の書簡を長州藩の久坂玄瑞に渡すための訪問だった。久坂の日記「江月斎日乗」は、龍馬が1月14日から10日間滞在し、面談したり松陰門下生と会ったと記述している。

ところがこの間に、久坂は風邪で寝込んだと書いている。「(松陰門下生に)龍馬を案内してやってくれとなったのでは」と木村課長と三輪さんは推察する。龍馬と会った松陰門下生の中に画家、松浦松洞がいる。松陰の菩提寺を案内してしのびつつ、龍馬は茶わんに松原を描いて名前を入れ、プロの松洞が山や鶴などを加えて仕上げたと推察した。

龍馬はその2カ月後に土佐藩を脱藩した。松陰門下生と熱く語り合った日々が、龍馬の決意に影響した可能性もある。



東洋ルネサンス〜日本が世界に誇れる芸術 光悦茶碗
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